日立風流物の歴史

日立風流仏の歴史01
日立風流仏の歴史02

以前は宮田風流物(みやたふうりゅうもの)とよばれ、神峰神社の大祭の時だけ宮田地区の四町(東町、北町、西町、本町)から一台ずつ拝殿前へ曳き出し、奉納されてきました。 この風流物は昭和20年の戦災により大半を焼失しましたが、昭和33年に北町の山車が復元され、昭和34年に「国指定重要有形民俗文化財」となり、人形操作などが「国指定重要無形民俗文化財」となりました。
また、平成21年には「ユネスコ無形文化遺産」にも記載され、さらに平成28年には「山・鉾・屋台行事」としても記載されました。

風流物の由来

日立風流物(ひたちふうりゅうもの)は日立市の前身である日立村の鎮守神峰神社の祭禮に、氏子達が奉納の意味で造った山車に操り人形を配したもので、江戸時代中期享保の頃に始まり、文化文政の頃には山車に改善を加え山車そのものがからくりとなり、風流物、笠鉾と呼ばれるようになりました。精緻にして豪壮な変化に富んだ山車で、明治の初期には既に現在の形になっていました。

また、この種の山車は全国にもその例が無く、昭和三十四年には山車としては指定第一号である国の重要民俗資料の指定を受けています。現在、日立市には東町、北町、西町、本町の4台の山車が有ります。

日立風流物リンク(市ホームページ)

日立風流物(市郷土博物館ホームページ)

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  • 【更新日】2024年1月12日
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